本日の書籍紹介は、「虐待死」 なぜ起きるのか,どう防ぐか 川崎二三彦(著)
「虐待」と一言では言い表せないほど、育児放棄、暴行、心中など、多様で、単純で、他人が手の付けられない問題でもあります。何故なら、日常の家庭生活環境の中で、どんなに非道でも、普通に行われている行為ですので、他人が気が付いても、権力を行使しないと誰も止める事ができない。
弱い人間は、自分より「弱い者」を全力で、あたかも無かったかのように、無自覚で「つぶし」にかかります。
例えば、「困窮の中で孤立した家族が営む、救いようのない生活」こんな状態に陥れば、人間はほぼ同じことをする。こんな「動物」以下に簡単に成り下がった「鬼畜」や「悪魔」が、世の中に沢山いる中で、私たちは、普通に生活しているのです。所詮、他人事なのですが、誰かが犠牲者になる。
ただ1つ言えることは、人間 自分が行った行為でも平気で何も無かった事に出来る「感覚」、「 倫理観」、 「道徳観」など 「脳」が病んでいても、病んでいなくても、自分の都合が悪くなると 何も無かった事にする感情、環境が悪ければ自分の欲望通りの行動を平気でしてしまう、動物とほぼ同じような行動をする生き物なんでしょう。いや動物よりダメかもしれません。
とても正常な人間ではないと云うが、正常も異常もない。 元々人間は、「困窮の中で孤立した家族が営む、救いのない生活」に落ちれば、皆とは言わないが、何でもやるのです。
脳が病んでいても、病んでいなくても、何でもありの世界になり、子供が犠牲になる、病んでいない人間でも、自分の周りの環境の劣悪化により、このような状態に、十分になりうるということなんですが、誰も想像しようとは思わないし、加害者をひどいとしか思えない。
元々、頭(脳)の配線がおかしい奴は別としても、劣悪な環境に身が置かれていれば、ひどいことを平気でしてしまうのが人間で、私は大丈夫と思っていることこそが想像力の欠如で、都合のいい勘違いでしょう。
▮虐待死 なぜ起きるのか,どう防ぐか (岩波新書)
– 目 次 –
序 章 社会を揺るがす子どもの虐待死
第1章 虐待死の検証
第2章 身体的虐待の行き着く先ー暴行死
第3章 養育放棄、放置の末にーネグレクト死
第4章 生まれた瞬間の悲劇ー嬰児殺
第5章 無防備の子どもが犠牲にー親子心中
第6章 虐待死を防ぐために
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どんなことが、起こっているのか、想像も付かない方は、是非、読んでおいたほうが良いと思います。 ほんの一部の人間だけが、起す事件では無いのです。
人間社会の中で、一番「弱い人間」達が、一番、非道な事を平気で行うのです。
どこにもぶつけるところが無い、自分自身の不遇さを一番弱い身内にさえ、ぶつけてしまうのが、人間の本性でしょう。 この最大の「醜さ」さえ抑えられないのです。
「弱い」人間を救わないと、平気で色々なことが起きてしまうのが、人間の世の中です。そして、子供が大人になり、脳が「破壊」されてしまっているので同じことをする、「連鎖」が発生してしまうのです。
戦争で、何人、亡くなったかを訴えますが、自分が、何人、殺したかは、口が裂けても言いません。
本当に人間は、発達した大脳皮質を有したお陰で、都合の良い、いい加減な、何でもしてしまう「生き物」なのです。
■ヒトはなぜ幼児を虐待するのか
人類の成り立ち、生物学的な処から考察しています。人類は、最近まで生活苦のために母親の手で間引き(子殺し)が行われていた。
▮告発 児童相談所が子供を殺す (文春新書)
「児童相談所」と云う言い方。ちょっとおかしいと思います。「児童相談」ではなく、「子供を持つ親の相談所」でしょう。
子供に問題があるのでなく、親の「脳」に、「行動」に問題があるのですから、ただ、子供を引き離しただけでは、何も問題解決にならない。
子供を育てる「親」が、自分が悪いと相談しに来るわけがありません。
子供を見て初めて発見できますので、児童相談の専門家ではなく、「親の人生相談所」か、「親の矯正施設」にするような専門家と分離する必要があるのではないでしょうか。
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