【書籍紹介】 歴史と戦争 半藤一利 著  昭和十五年の群集心理  人間の「愚かさ」を。

本日の書籍紹介は、「歴史と戦争」 半藤一利 著 です。

明治、大正、昭和の歴史を勉強する上で、欠かせないのが、 半藤 一利氏の「昭和史」上下、「ノモンハンの夏」などの著書が有ります。

幕末・明治維新からの日本近代化の歩みは、戦争の歴史でもあり、日本民族は世界一優秀だという幻想のもと、無能・無責任なエリートが戦争につきすすみ、メディアはそれを煽り、国民は熱狂した。 結果、米国にコテンパンにやっつけられた。

・「コチコチの愛国者ほど国を害する者はいない」
・「戦争の恐ろしさの本質は、非人間的になっていることに気付かないことにある」
・「日本人は、歴史に対する責任というものを持たない民族」

同じ、過ちを繰り返さないために、私たちは歴史に何を学ぶべきなのか。

 

■「歴史と戦争」  半藤一利 著

目 次
第1章 幕末・維新・明治をながめて(江戸時代まであった、島国に生きる知恵;幕末期日本人の天皇観 ほか)
第2章 大正・昭和前期を見つめて(石橋湛山、大正十年の社説;母と、大正十二年の関東大震災 ほか)
第3章 戦争の時代を生きて(真珠湾攻撃大成功の報せを受けて;私の親父は“へん”だった ほか)
第4章 戦後を歩んで(戦後がはじまったとき;遮蔽幕がとれて ほか)
第5章 じっさい見たこと、聞いたこと(東京裁判を見に行った;陸海軍省がなくなってもなお ほか)
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本著を読めば、半藤氏の著作から、幕末・維新から戦後までの歴史を抜粋したものではないかという事が分かりますので、すでに読んだ方はあまり必要はないかと思いますが、私は買ってしまいました。。。。

改めて、人間らしく生きようとしても、動物としての「本能」に勝てない人類の愚かさに、気が滅入ってしまうのですが、同じ過ちを繰り返す、人類の、日本人の「歴史」がわかります。

半藤 一利氏は、文藝春秋社で松本清張、司馬遼太郎らの担当編集者を務めた方で、後に作家となった方です。

半藤 一利氏の書籍を読んだことのない方は、この書籍をきっかけに、「昭和史」上・下などを読むと、興味がわいてくると思います。

学校の教科書では、決して、学ばなかったことがたくさん出てきます。 司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」に出てくる秋山兄弟の事も「昭和史」上・下に出てきます。

 

■天皇制下の当時の軍部は、大変優秀な人間ばかり、集まっていたのでしょうが、これを、半藤さんは、痛烈に批判しています。

特に、陸軍の作戦を立てる「参謀」などは、結果がさんざんでも、責任を一切取りません。 取らなくて良いように出来ているようです。

責任をとるのは、いつも戦場の責任者で、大本営で指揮している「参謀」は、いい身分です。この当時の軍部の人間たちは、大変、優秀なのですが、サイコパスの様な脳の配線をした軍人が多いように思います。

サイコパスでなきゃ、出来ないでしょうという、作戦をいくつも立てては、失敗を繰り返しています。

とても、戦争をしている敵国(米軍)の戦力など、どうでも良いような作戦を立てています。 最悪なのは、通常、「補給」も作戦の一つと考えますが、これが、ほぼゼロで、戦況が悪化しようが、どうしようが、自分たちでなんとかしろとでも云うような作戦なのです。南シナ方面の戦死者の多くは、戦闘ではなく、餓死で死んだ人の方が多かった戦いもあります。 さぞかし簡単だったでしょう。 頭が悪くても、考えられる作戦しか指示しないのです。

この頭は、悪くないが、サイコパスの様な脳をした、軍人達が、次々と実行してきた戦争は、何だったんだろう? それを止められなかった国民も。

■戦争は、一旦始まると、誰にも止めることができなくなります。 そして、それを実行に移す人間たちは、国民の命のことなどは、何一つ考えていない、「化け物」の様な行動をとるようになるのです。実に、幼稚で、残酷で、人の命のことなど、何一つ考えていない行動を次々と実行してゆく。

まさに、狂気の世界に支配された状況に必ずなるのですが、戦後70年、当時の戦争を体験した「老人」たちは、まだ生きていますが、平和ボケしているのか、憲法9条の問題にしても、反応が鈍いように思います。 語り継ぐ前に、お前たち、戦時中、さんざん不条理な思いをして生きてきたくせに、もう、おれらには関係ないというような面をしているのか、意味不明です。 喉元過ぎれば、もう関係ないか、もうあの悪夢のような日々は、自分の生きている間は、無いだろうと、高をくくっているのでしょうね。

人間、どんなに悲惨な思いをしようと、今が良ければ、簡単に、あの「狂気」を忘れてしまうのでしょうか。そんな意味において、戦時中を生き抜いてきた人たちの頭の中をかち割って観てみたいものです。 どうなってんの? と。

この不思議さを解くカギは、狂気に満ちた状況に、自ら落ちた国民にも責任があるのです。

昭和十五年の群集心理

フランスの社会心理学者ル・ボンは「群集心理」という名著を十九世紀末に書いているが、彼はいう。

「群集の最も大きな特徴は次の点にある。それを構成する個々の人の種類は問わず、また、彼らの生活様式や職業や性格や知能の同異は問わず、その個人個人が集まって群集になったというだけで集団精神を持つようになり、そのおかげで、個人でいるのとはまったく別の感じ方や考え方や行動をする」

そして、群集の特色を、かく鋭く定義している—衝動的で、動揺しやすく、興奮しやすく、暗示を受けやすく、物事を軽々しく信じる、と。そして群集の感情は拡張的で単純であり、偏狭さと保守的傾向を持っている、と。  「昭和・戦争・失敗の本質」より

 

このどうしようもない人類は、動物の生き残ろうという本能が、脳の中で、発動してしまう処にあるように思います。まさに自分の意志で動いているのではなく、無意識の本能が働くために、愚かな行為を文明が、どんなに進歩した時代にも「発動」してしまう。

人類は、生まれ持って、愚かで、危ない生き物です。 だから生き残ったのでしょう。

 

■「人工知能」について、

今度は、人間に近い「人工知能」を目指せだと?  この愚かさを「人工知能」に取り込まないと人間には近づけないのです。 ですので、 人間には近づけると、完全にヤバいのです。

賢さは良いが、愚かさを排除しないと、大変なことになるのです。

「人工知能」の基本機能として、悪事を働こうとしたとき、人間と同じ、生き残ろうとしたとき、愚かさに気が付き、自身を破壊する機能を付けておく必要が有ります。

 

■いつも、思うのですが、よく、戦争の悲惨さを語り継ぐ必要があると。。。。。

本当は、「戦争の悲惨さを語り継ぐ」のではなく、「人間の、人類の、生き残るための本能を発動すると、同じことを繰り返す」という、人間の「愚かさ」をちゃんと教えることが必要です。 

ここが、教育では、全く、語られていないのです。 人間の「愚かさ」を。

群集の特色を、かく鋭く定義している—衝動的で、動揺しやすく、興奮しやすく、暗示を受けやすく、物事を軽々しく信じる、と。そして群集の感情は拡張的で単純であり、偏狭さと保守的傾向を持っている。

為政者が、これを上手く利用すると、戦争なんて簡単に起こせてしまう事を認識すべきですが、2000年経っても、同じです。 全然変わりません。

現代の「SNS」が、それを証明しているでしょう。 上手く利用すべきツールなのですが、どうしようもない愚かさは、貧困よりも、世界中に蔓延していますので、何回経験しても、「悪夢」として終わって、また繰り返すのです。

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