2020年9月21日、
本日のお題は、「引きこもり」と「孤独死(孤立死)」について
先日、久しぶりに友人宅を訪れた時、若かりし頃の「バイク仲間」が、自宅で死後、誰にも気づれず、孤独死(孤立死)していた事を聞きました。妹の旦那さん(バイク仲間)が、家を訪ねて発見したようです。
孤独死(孤立死)とは
内閣府の高齢社会白書の平成22年度版では「誰にも看取られることなく息を引き取り、その後、相当期間放置されるような悲惨な孤立死(孤独死)」と表現している。
今年の春先、バイク仲間の奥さんが病気で亡くなり、「追悼」でみんなで集まった時には、数ヶ月前ですが、彼も元気にしていたのですが。
彼の場合、身内はまだ居ますが、色々あって、家族は居なくなってしまっていました。
人間、亡くなる時は一人ですので、別に何もおかしくは無いのですが、始末してくれる人が、その場に居ないと大変なことになってしまうと云うだけの事ですが、何だかやるせない気持ちになります。
彼と知り合ったのは、私が学生の頃、バイク屋さんでしたが、今から40年以上になりますが、私より5歳くらい年上のお兄さんで、とても良い人で穏やかで怒った姿を見たこともありませんでしたが、だだ私より年上ですが「精神年齢」が年齢と合致しない様な人でした。ただ、晩年は一緒に遊んでほしいがために、自分の私財を使って、人の分まで「道具(バイク)」を買い揃え、一緒に遊ぼうと迫ってくる様な人でした。 誰か一緒でないと、旅行にも、絶対に行けないのです。
もう、集う店も無くなりましたが、数年に一度くらいのタイミングで、バイク屋をしていた友人宅に集まろうという時には、必ず来ていました。もう、みな歳を取ってそれなりの年齢になって居ますが、バイク仲間は今でも大切です。 そんな「同窓会」風な集まりも、最近は実施していませんでした。
音頭を取る人間も、私くらいしか居ないのですが、賛同者がいないと私も、いたし方が無いのです。
1.引きこもりの多様性
若い頃は、全然感じませんでしたが、今、こうして、色々な「社会問題」などを認識できるようになると、昔、流行っていた「バイク屋」さんの存在は、社会的にも大きな存在だったのではないかと、ふと思ってしまいました。 ただ単にバイクブームでは、なかったように思います。
いまでこそ、発達障害、人格障害、愛着障害など、「精神疾患」ではないが、生まれつき又は、生後の養育環境により、脳の配線に問題が発生して、脳の発達が凸凹なってしまった人たちの事は、少しは認識されるようになりましたが、当時から、今でもそうですが、精々、「血液型」で性格を判断する底レベルでした。特に日本と云う国では。
■コンビニは通える引きこもりたち 久世芽亜里(著)
著者の久世芽亜里氏は、訪問活動と共同生活寮の運営などを通じて、1600人以上の引きこもりを支援してきたNPO法人ニュースタート事務局スタッフです。
引きこもりと発達障害も、よく混同される組み合わせです。「引きこもりのほとんどは発達障害だ」と言っている人もいますが、こちらが相談を受けている中で、検査をすれば発達障害の診断が下りるのではと思われるケースは、3割程度ではないでしょうか。
「9割近くは外出している」「不登校がきっかけは2割以下」「10年以上働いた後になることも」
2.忘れられた「境界知能」の人々
引きこもりになってしまう人は、下記の様な人たちも、きっと含まれていると考えます。
宮口 幸治先生は、少年院などで子供たちを見ている過程で、問題を起こして、少年院に入ってこなくても、軽度知的障害(知的障害の8割)、ボーダー(境界知能)の人たちは、知能検査で、問題なしと判定され、認知機能が低いのですが、健常者と見分けがつかなくなり、「忘れられた人々」として、普通の学校でも、困っている子供たちがたくさん居ると言っています。
忘れ去られた人たちは、世の中に沢山存在しているのです。
普通の社会でも、困っている大人たちがたくさん居ると考えると、社会の中で、色々なものが見えてきます。
「知能検査」にもIQを測定して、70から85くらいまでの人を「ボーダー」と言いますが、当然、脳の機能的な問題ですので、「発達障害」の話の中でも、「ボーダー」と呼ばれるぎりぎりの存在の人たちも沢山います。
特に「発達障害」の場合は、脳の機能ですので、正確に、正常・異常を「測定」のしようがありませんので、必ず、症状の濃い人、薄いが症状のある人と、ASD(自閉症スペクトラム症)などは「スペクトラム:連続体」と言う言い方をするしか無いのでしょう。
—関連記事—
・【書籍紹介】 ケーキの切れない非行少年たち 宮口 幸治 (著)
少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない(丸いケーキを3等分にできない)非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだということを実感したそうです。
人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的な方法(メソッド)を公開しています。
3.「引きこもり」になる暇などない
当時、「バイク屋」さんに集まる「仲間」には、非常に、変わった人たちが多かったのです。
引きこもりになってもおかしくない様な人たちでも、ここに来れば楽しいことが沢山あり、引きこもりになる暇などないくらい、みんな生き生きと、一緒にバイクの話をしたり、バイクに乗って楽しんでいました。 社会的な繋がりができると、生い立ちは、それぞれ違っていても、共通の話題さえあれば、楽しくすごせるのです。
私など、学生の頃、携帯電話など有りませんが、居場所は、探さなくてもすぐにわかるのです「バイク屋」さんに居る。。。北海道の田舎町から札幌に家族で引っ越してきましたので、友達も少なく、学生の時に尋ねたバイク屋さんでバイクを購入して、それから何となく、自分の居場所になってしまいました。
店からすれば、常連のお客さんなのですが、そのお客さん同士も、当然、「バイク」と云う道具で一緒に遊びますので、自然と仲良くなるのです。
卒業後、本州に就職したが、もう一度勉強するために札幌に戻った当時、バイク屋さんに勤めていた友人が、バイク屋を開業したこともあり、お店の手伝いを良くしていたのです。
例えば、1泊「温泉ツーリング」の時などは、数十人になるのですが、超「初心者」の女の子も連れてゆくので、みんなたどり着けるように、私は「しんがり」で、超「低速」走行で、こぼれ落ちそうな子(土手から落ちてゆく子もいるのです)たちを「置いて行かれても、大丈夫!!、僕が居るからと励まし」、完全におもり役(かる鴨の親子の様に)。。。。ちょうど、小樽の林道で、ヘマをして、右肩靭帯を伸ばして手術しましたので、速く走る(爆走!)ことができませんでしたので「おもり役」は非常に好都合だったのですが、こんな事をしていましたので、人生の中で、一番、モテた時期でしたね。
当時、私も、映画「ターミネーター」の「T-800」の様なロボットでしたので、先輩達からは、後輩達の中で一番、生意気だが、使える奴として観てくれていたように思います。
私の場合、この頃から、やっと人間らしい「共感力(認知的共感力)」を徐々に身に着けていった様に思います。
ふと、現在に戻ると
今、私の場合、スタバの常連客で、店の女の子とは、美味しいものを食べに連れてゆくくらいの関係ですが、「客」同士のお付き合いは一切ありません。 同じ、客が集うお店なのですが、お店に来る「目的」が違うと、こうも関係性ができない。。。のかと呆れます。
常連客と言うのは、共通の目的もないと、偶々会うだけで、結構、面倒くさいのは、お互い様ですので、自分から話しかける事など無いのです。 若い子だけは別で、今まで、客の中で何人か居た様に思います。
よく、スナックなどでは、酒を飲みますので客同士、仲良くなるのでしょうが、街中の喫茶店で、コヒーでは無理なんでしょう。
4.バイク三昧だった日々
学生の頃から、本州に就職して、一度札幌に戻り、再び東京でSEをしている頃まで、10数年間ほどで、2店舗のバイク屋で、お客さんたち約数十人と、仲良くなり、その後もお付き合いは続いていますが、バイクに乗って、事故で無くなった仲間は、一人も居ません。
この世からいなくなったのは、病死以外では、今回の孤独死1人、自殺者2人になります。
私のように、ある程度の歳になり、もうバイクになど乗っていませんが、みんな生き残っています。生き残っているのは、ラッキーと言うか、「結果オウライ」、「無事これ名馬」と云うより「名ライダー」でしょうか。
バイクって、危ない乗り物なんです。でも、危ないから乗りたいのです。 危ないから楽しいのです。そして結果、生き残った者「勝」です。 ただそれだけです。
自分には娘が2人居ますが、息子なら反対しませんが。娘の場合は、色んな理由を付けて、4輪にしなさいと言います。
ちなみに、こんな風に「ライディング」できなくなったら、もう止めましょう。
歳を取り、経済的に豊かになり、排気量の大きい、クルマが1台買えるような値段のバイクに颯爽と跨り、北海道まで来て事故を起こして、死んでしまう、大怪我をしてしまうライダーも、毎年、居るのです。
人生の途中で、若い頃、乗るのを止めてしまうと、やり残した思いが強いのか、歳をとり、子供も独立して経済的に豊かになると「悪魔の囁き」を聴いてしまうのです。
「楽しいぞ!」という囁きに。
私の様に、さんざん楽しい思いをしてしまうと、「もういいや!」と諦めが付くのですが、そうでない人も必ず居るのです。
人生、遊び道具にもよりますが「楽しいぞ!」と感じる「旬」があるのです。
後から、遅れて実現しようとすると、必ず、危険が付きまとうのです。 特に、「バイク」や「火遊び?」など。。。。
歳を取っても、「サバゲー」などをやっている奴らが居ますが、こいつら、紛争が絶えない地域に、全員転送すればいいんです。 殺し合いの「実戦」を楽しんでもらわないと。。。
最後になりますが、この先、職を失ったりするのは、まれではなくなります。
そして「引きこもり」も他人事では無いのです。ちょっとしたきっかけで、誰がなってもおかしくないのです。
人生、会社で仕事だけして、能天気に、のんびりと暮らしていると、自然災害と同じような「危機」が訪れるかもしれません。
本当は、能天気に、のんびりと暮らしたい所ですが、そうはさせてくれない時代になってきているのです。
きっと、何度でも、人生、痛い目に会うでしょう。
多分、人生で、お勉強するのは、学生時代では有りません。 社会に出てからがお勉強なのですが、若いときから、色々な体験をしていないと、きっと、想像力も沸かない人間になてしまうのかもしれません。
5.人生、100年時代になってきていますが、副業ができるくらいのスキルを、社会人になってからでも、身につけておくことも必要な時代になってきているように思います。
昔のように、40歳や50歳代で死なないのです。下手すると、健康だと、あと倍くらい生きなければならないのです。
人生、100年時代になってきていますが、コロナ禍のなか、仕事が無くなった方が、たくさんいるのではないかと思いますが、今どきの人生の過ごし方、特に仕事は、一生同じ会社に勤めて、定年退職を迎える時代ではないように思います。
よく「転職」と言いますが、殆んどは「転社」でしょう。
スペシャリストを目指し、高給を貰うには「転社」でしょう。
でも、そうでない人は、結局「転職」ではく「転社」になってしまうが、スキルが役に立たないと云うより、スキルが身についていないのです。
■会社を替わるだけで、やっているクソ仕事は変わらない。
発想が貧困なのか、派遣社員でも、何が何でも、会社勤めしなければ、金が、収入がえられないという発想を止めない限り、「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事」が付きまとうのです。 どんな仕事をしているかにも関わらず、職を失う事態が発生するのです。
「副業」ができるくらいのスキルを、社会人になる前から、遅くても社会人になってからでも良いが、身につけておくことも必要な時代になってきているように思います。
戦前の人達の方が、副業と云っていいのか分からないが、逞しく、季節で違う仕事をしていた人たちはたくさんいたように思います。
かく云う私も、自分より知能の低い奴に「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事」をさせられる時も有りますが。。。
「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事」で、沢山、金がもらえると思わない事です。 将来、人工知能がやってくれると思ったら大間違いです。
「クソどうでもいい仕事」は人間が担うのです。 そして、報酬が安いのです。
そうならないためには、仕事から帰って、風呂入って、飯食って、テレビやネットを観て、「馬鹿笑い」して、書籍も年に1度も身銭を切って購入して読むことも無く、「糞」して寝るだけの生活を止める事です。 毎日していれば、死ぬまで「スキル」なんて身につかないでしょう。
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