【書籍紹介】 日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く 松岡 正剛 (著)

2020年4月日、
本日の書籍紹介は、日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く 松岡 正剛 (著)です。

松岡 正剛(せいごう)先生は、編集工学研究所所長と云う肩書をお持ちですが、この「編集工学」とは何ぞや!です。

日本文化、経済文化、デザイン、文字文化、生命科学など多方面の研究成果を情報文化技術に応用する「編集工学」を確立となっていますが。。。まだ、意味が分かりません。

先生の書籍は、何冊か、拝読していますが、私のような「低脳」な人間には、あまりにも次元の格差が大きく、理解できないところが多々あるのですが、でも、物の考え方が、参考になっているのです。

先生の知識は幅が広く、私の興味のある生物学、遺伝子工学、人類学、文化人類学、社会学などにも、共通する部分が多々あり、幅広く興味深い事が沢山記載されています。色々なジャンルの書籍を読んでいると、ふと、接点を見つける時があるのです。角度を変えて見ているだけで、同じことを言っている様な事柄を発見することが有るのです。そんな時は、本当に読んでいて楽しくなる瞬間でもあります。

古今東西の現象や、各分野の泰斗(たいと)とその思想・著書を縦横無尽に分析、引用している点などは、現代日本の知の巨人と言っても過言ではない松岡先生でなければ記述できなかった作品で、また、本書で興味を持った部分を更に深く掘り下げるきっかけになる一冊となると思います。

私の場合、古典や神話など部分が、勉強不足で、ピンとこない所が多々ありますが、先生の博識の広さには、ただただ驚くばかりです。

書籍を読む楽しみの一つに、自分で勉強不足だなと思った点を覚えておき、その疑問を晴らすために、次々と読んでゆく内に、何かつながるものが見えた時に、実に楽しくなるのです。

ただ単に、すぐに役に立つかもしれない「how-to」本などでは、味わえない「知」の連鎖があるのです。

脳科学者・中野信子ちゃんの受け売りですが、お勉強は、「義務としての学び」と「よろこびとしての学び」があり、社会人が勉強するときも同じことで、やはり学びとは、「義務」と「よろこび」の二層構造になっていますので、「how-to」本だけでは、楽しくないのです。

「how-to」本だけでは、ただの「意識高い系」と揶揄されてしまいますので。

一見、役に立たないような世の中の仕組みや事象、文化、社会学、歴史学、人類学、脳科学など、幅広いジャンルの書籍を読破しないと、一生「よろこびとしての学び」は享受できないと思います。

大学受験の勉強や学生時代に、ちゃんと「義務としての学び」のお勉強をしてこなかった人は、「how-to」本を必死に読んで「義務としての学び」を取り戻すのも一考かと思いますので、無理に「よろこびとしての学び」に飛び込んでこない方が良いかもしれません。多分、読むのが「苦痛」で楽しめないでしょう。

1.日本文化の核心

– 目 次 –
第1講  柱を立てる
第2講  和漢の境をまたぐ
第3講  イノリとミノリ
第4講  神と仏の習合
第5講  和する/荒ぶる
第6講  漂泊と辺境
第7講  型・間・拍子
第8講  小さきもの
第9講  まねび/まなび
第10講 或るおおもと
第11講 かぶいて候
第12講 市と庭
第13講 ナリフリかまう
第14講 ニュースとお笑い
第15講 経世済民
第16講 面影を編集する
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松岡先生が、最大のテーマとしてきた「日本文化」について、書き下ろしたものです。

日本文化を分析するために、その手掛かりとして、色々なフィルターを通して説明しています。

「日本文化の正体は必ずや「変化するもの」にあります。

それはたいてい「おもかげ」や「うつろい」を通してやってくる。これがジャパン・スタイルです。

日本は一途な「おもかげ」を追い求め、多様な「うつろい」を通過してきたのではないか」と結論付けている。

更に、日本の今後については、「日本文化の正体はたいそう微妙で、たいそう複雑なのです。

グローバル資本主義やコンプライアンスの蔓延が、これらの「一途で多様な日本」や「微妙で截然とした日本」をカラッケツにしてしまわないことを祈るばかりです。

女・子供がよく使う「かわいい」や「やばい」だけでなく、「粋」や「通」や「お侠(きゃん)」のような独特の美意識も創生するべきです。」と警鐘を鳴らしている。

 

 

日本の文化の興味深い所ですので、言語の使い方について、ちょっと考えてみましょう。

2.ハイコンテクストとは

「日本文化はハイコンテキストで、一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある」

コンテキストとは、「文脈」の意味です。 書籍を読むときに「裏を取るために、1冊だけではなく、同じコンテクストの複数の書籍を読む必要がある」などの意に使う言葉です。

ハイコンテキストとは、コミュニケーションや意思疎通を図るときに、前提となる文脈(言語や価値観、考え方など)が非常に近い状態のこと。 民族性、経済力、文化度などが、近い人が集まっている状態。
コミュニケーションの際に互いに相手の意図を察し合うことで、「以心伝心」でなんとなく通じてしまう環境や状況のこと。

例えば、日本人が電話で「Aさんいらっしゃいますか?」は、英語に直訳「Is Mr. A there?」で、本当は英語で正確に意思を伝えたいのならば「May I speak to Mr. A?」 になり、直訳では「私はAさんと話したいのですが、話せますか?」になります。

日本語の場合、Mr. Aの存在確認だけを行っており、その結果、話者はMr. Aと何をしたいのかが表現に入っておらず、取次いだ聞き手が「電話の主はMr. Aと電話で話したがっている」ということを推測する必要がある。

これ、面白いですね。
人工知能(AI)に日本語で会話をさせようとすると、ここまで推測させる必要があるのですが、できるか。

人間と会話のできる「人工知能(AI)」を創るときには、「高文脈(ハイコンテクスト)文化」と「低文脈(ローコンテクスト)文化」を意識して作る必要があるでしょう。 どちらが優れていると云う意味ではなく、さて、日本のAIと英語圏の人と会話をするときには、どちらにも合わせて会話できるようにする必要がある。

日本では、一般的な共通認識に基づく、重要な情報でも言葉に表現されないことがある、この曖昧な言語の使い方。。。。この言語の違いは、「農耕民族」と「狩猟採集民族」の違いだけでは無いように思います。

日本の文化は、「空気を読む」ことや「状況を察する」こと、究極的には「以心伝心」で意思を伝えるメンドクサイ文化なのですが、なんで、こうなるんでしょう?

「コミュニケーション」に際して、共有されている体験や感覚、価値観があり、これがあるから、会話が成り立つのではと考えていましたが、そうでなくても、会話って成り立つのでしょうか?

1)「話せば分かる」

1932年(昭和7)5月15日 五・一五事件で、時の首相「犬養毅」が殺害された事件で、暗殺しようとする軍将校に向かって言った言葉としても有名ですが、これは、価値観が合わない相手や行動の意図が不明な相手などとも、じっくり話し合えば相互理解が可能であるという考え方を意味する語として残っていますが、言われなくても分かっていると思いますが「話をしても分からない」奴は、世の中に沢山いるのです。

 

2)日本人が、欧米の人たちと話す時、注意する必要があるのはこの辺でしょう。

言語化しない言語は、言語として存在するのか? 「察する」事のできない民族と対峙した時に、噛み合わなくなる場合があるでしょう。 そこをどう埋めるのか?

学生時代に、ゼミで「異文化コミュニケーション」について学んだことが有りますが、奥深いのが、今更ながら気が付きました。 私が学んでいた頃は、もちろんスマホも無く、今の第三期の人工知能(AI)も無かった時代ですが。

 

3)最近の新入社員は、会社で電話を取るのが「恐怖」だそうです。

分からない訳ではない。 「幼稚園児」の様に、SNSで数文字で、相手と繋がっているという勘違いを抱きながら、社会に出れば、このような羽目になってしまいます。 当然でしょう。

「タメ同士」で話すのは得意だが、ちゃんとした「日本語」を使い話せない若者が多くなってしまったのも必然でしょう。   多分、家庭が、親がいかれているからでしょう。

だって、ビジネスの世界で、幼稚園児の様に、数文字で相手に意思を伝えようなんて。。。相手に「石」を投げているようなものです。

 

4)グレーゾーンも含めた「発達障害」の人達

もう一つ、日本文化がハイコンテキストだとすると、発達障害の「ASD(自閉症スペクトラム症)」の人たちは、グレーゾーンの人達も含めて、欧米よりも、日本で生きにくい生活を強いられている様に思います。

なぜなら、「認知的共感」能力が低く、言語で話したこと以上に、非言語系の「空気を読む」ことや「状況を察する」事が理解できないからです。

人格障害の「自己愛性人格障害」の中の通称「サイコパス」は、「情動的共感」は無いが、「認知的共感」能力が高いのです。 人を騙すのがうまいのです。

 

3.私が、過去に読んだことがる松岡 正剛 先生の書籍ですので記載しておきます。

いい言葉です!! 「知の編集工学」。  私には、まだ、全然、無理です。

知の編集術

 

知の編集工学

 

フラジャイルな闘い 日本の行方

 

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