本日の面白記事は、そもそも、現代人のライフコース自体が生殖に向いていない。です。
たまに、拝見している精神科のシロクマ先生のブログです。
1.なぜだろう?
昔は、「貧乏の子だくさん」と言って、貧乏でも子供が沢山いたのに、なぜ、少子化になるのだろう?
確かに、昔は産業構造が、今とは違う為、子供を労働力の一つにするため。まさか、戦前の様に、戦場で戦わせるために、子供を「産めよ増やせよ」と云って増やした?そんなことないよね。
この件に関して、ずーっと、モヤモヤしてい居たことですが、ちょっと、納得したような記事ですので、紹介してみました。社会が豊かになると、勘違いする国民が増えて、一旦、経済が停滞すると、貧しくなるが、貧しくならない人たちもいるので、困っている事が理不尽に思い、国家に何とかせよと迫る。
そう、「もう、子供なんか産まないぞ!!」と、国家を脅すしかないのです。
かつてブルジュワと呼ばれた人々は上昇志向で勤勉だっただけでなく、経済資本に恵まれ、人を使える立場だった。
仕事熱心なブルジュワの実生活を支えていたのは、使用人や家政婦のたぐいだ。子育ての領域でも、乳母・教育係・寄宿学校といったさまざまなリソースを利用できたからこそ、ブルジュワは自分自身のキャリアに集中できていた。
ブルジュワの意識と実生活の背景に、「生活のことなんて考えなくても構わない」「子育てもアウトソースして構わない」があったことは、現代人の意識と実生活を考えるうえで忘れてはならないものだと私は思う。
さきに述べたとおり、日本社会ではブルジュワ的な意識や働き方が庶民にどんどん広まっていった。ところが、ブルジュワ化した庶民の生活を支えるための使用人や家政婦が増えたわけではなかった。乳母・教育係・寄宿学校といったリソースは高嶺の花であり続けた。
ブルジュワ化した庶民は、ブルジュワのように意識してブルジュワのように働くけれども、実生活や子育てを他人任せにできるほどの経済資本や人的資本を授けられなかったのである。
その結果、「ブルジュワのように意識し、ブルジュワのように働くけれども、実生活や子育てを自分でやらなければならない人々」がものすごい勢いで増えた。
はじめ、この問題は「専業主婦」というシステムで一応の解決をみた。戦後しばらくの間は、国が専業主婦というシステムを後押しするかたちで、夫がブルジュワ的に働き、妻が乳母や家政婦の役割を担う分業が広く採られた。
ところがバブル景気が崩壊してからの日本では、片方が働いて片方が養う……という分業が成立しにくくなってしまった。
ブルジュワ的な意識や働き方はますます庶民に広がっていったのに、それにみあった年収はますます庶民から遠のいていった。末広がりなブルジョワの裾野に位置している人々は、勤勉に働いているにも関わらず、使用人ひとりも雇えない。それどころか、夫婦二人で食っていくのに精一杯という人や、結婚なんて経済的にとんでもないという人すら珍しくなくなっている。
生活面では、家電製品やレトルト食品やサービス業の進歩によってカヴァーできていると言えるかもしれないが、生殖、子育ての領域はこの限りではない。保育所だけではカヴァーできない部分はまだまだあるし、その頼みの綱の保育所ですら、待機児童問題を呈して順番待ちのありさまである。のみならず、ブルジュワ的な意識においては、子どもには上昇志向な教育をカネをかけてほどこすのが当然とみなされているから、ただ子どもを食わせるだけでは駄目なのである。
近代から現代にかけて、日本人は、いや世界じゅうの人々は、ひたすら総ブルジュワ化の道を歩み、みんなが高学歴を志向して、みんなが勤勉に働くようになった。それは自体は良かったのだろう。
他方で、意識と働き方ばかりブルジュワ化して、その生活と生殖を支えるためのバックボーンを授けられなかった(それどころか、バックボーンを失う一方の)人々に、やれ、子どもをつくりなさい、世代を再生産しなさい、と迫るのは厳しいことだと思う。その厳しいことを、日本は、いや先進的な国々の大半は、あの手この手で誤魔化しながらやり過ごしてきた。だけれど、とうとうやり過ごしきれなくなったから、みんな生殖を後回しにするようになった。それは仕方のないことだと私は思う。
豊かにはなったが、かつての「ブルジュワ」と言われていた少数の人たちの様に、ブルジュワ化した生活を支えるための使用人や家政婦がいるわけでもなく、乳母・教育係・寄宿学校といったリソースは高嶺の花で、さらには核家族化した中で、そんな環境で、自分が働けると、働くのが当然だと思っている人間が増えれば、それができなければ、産まないという選択をする。
2.これを日本のフェミニスト、 社会学者の「上野 千鶴子」先生に見せたら、何て言うだろう?
「男」目線の考え方だ!! ふざけんな!。。。と、確実に噛みついてくるような気がしますが、どうでしょう。。。私は、恐ろしくて言えません。
ジェンダー論で説明されるより、シロクマ先生のお話の方が、何だか、妙に、納得するものがあるのですが。。。。
3.ブルジュワのように、2人で働いても、たいした稼ぎにならない。
■高度成長期の時代 :専業主婦がいて、男一人の稼ぎで食っていけた。
■バブルがはじけて :夫婦二人で食っていくのに精一杯という人や、結婚なんて経済的にとんでもないという人すら珍しくなくなっている。
ブルジュワのように意識し、ブルジュワのように働くけれども、実生活や子育てを自分でやらなければならない人々が増えそうですが、そんなの嫌だとなる。
ブルジュワのように、2人で働いても、たいした稼ぎにならない。
資本主義の世の中で、稼ぎが少ない場合、社会のせい、自分のせいか?
ここで、政府が、少子化対策を本気で実施したいなら、ブルジュワのように、経済資本に恵まれるように、大量の「税金」を投入して、生殖、子育てをしやすいように、金を使う。
教育費、乳母・教育係(塾)・寄宿学校などの費用と人的資源を提供する。
こうすれば、本当に、人口減少を防げるのか?
旦那一人の給料では、食って行けないから、夫婦共働きをする。 そうすると、生殖がおろそかになる。やはり、夫婦共働きで、生殖しやすい環境って、かつてのブルジュワのような環境が必要なのか。。。。
こんなの多分、無理でしょう。
産むのも勝手、産まないのも勝手、みんな自分の勝手で生きているのだから、国家の人口が減少しようが、どうなろうが、そんなの知らねーよ。です。
みんな自由で、勝手だが、必ずしも、自分の思うようにはならないのが世の中です。
4.ロボット(AI付き)を使い、使用人や家政婦をさせて、子育ての領域でも、乳母・教育係・寄宿学校とブルジュワ的な生活をできる様にすれば、子供が増えるか?
お父さん一人の収入で、食べてゆくのは難しくなり、貧乏ではないがお金の余裕がなくなり、お母さん「専業主婦」の時代は終わり、夫婦総出で働かなくては、お金の余裕がなくなり、まして、子供の教育費もかける必要がある。
そうか、ロボットと人工知能をもっと、進歩させて、かつての仕事熱心なブルジュワの実生活を支えていいた様に、ロボットを使い、使用人や家政婦をさせて、子育ての領域でも、乳母・教育係・寄宿学校といったさまざまなリソースをロボットで代替えすれば、自分自身のキャリアに集中できる様になる。
自分自身の「キャリア」と言っても、殆どは、誰でもできる仕事、みんな群がる事務仕事。。これもロボットに奪われるので、「キャリア」なんて、ほんの一部の労働者しか身に着けられないが。。。。。
夫婦、共働きでも、家事ロボット、育児ロボットなどを政府が貸し出し、全部やってくれれば、かつてのブルジュワ的な生活が、実現できるのではないでしょうか?
そうすれば、国民の間に、中途半端に根付いた「ブルジュワ思想」を打倒する必要もなくなるのではと思うのですが、どうでしょう?
5.「働き方改革」の法案が通りそうですが、
かつての「ブルジュワ」の様な優秀な人でもないのに、「ブルジュワ」を求める割には、会社に行けば、非効率な仕事しかできない、自身の「生産性」の低さを何も認識できていない労働者がいかに多いか。
こんな会社で「働き方改革」だと? 「笑わせんな!!!」 と言いたくなる会社は、世の中に腐るほど存在します。
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・「働き方改革」? 何だそれ? 労働者自身の改革が先だろ
6.2030年までに上位1%が世界の富の3分の2を独占
「たった1%の富裕層が2030年までに世界の富の約3分の2にあたる66%を独占することが英国下院図書館」の分析により判明という記事もありますが、これから増々、冨の再配分が上手く行かなくなることは確かです。
これから、増々「格差社会」が、徐々に広がってゆく。 その先にあるものは、何なのか?
46億年前の地球の誕生から、ホモサピエンスが栄えた年月は、たかが、数十万年程度でしょうから、いつ滅んでもおかしく有りません。 何億年も栄えた、あの恐竜さえも絶滅しているのですから、人類が自ら環境を破壊して絶滅するか、自然現象で環境が変わり絶滅するか、分かりませんが、なるようにしかなりません。
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