【書籍紹介】 アドラーの「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」

2020年2月16日、
本日の書籍紹介は、アドラーの「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」です。

難解な「フロイト」や「ユング」の心理学より分かりやすいのですが、ただ、心を入れ替えて実践するのは、遥かに「アドラーの心理学」の方が難しいでしょう。

なぜか? という所は、これから説明します。

アドラー関連の書籍を読めば、うなづける所が多いのですが、これが中々、人類は実践できないのです。

最初は、宗教か?。。。とも思いましたが、でも全然、違います。

私も、今まで「フロイト」、「ユング」などの心理学者の影響が大きかったせいでしょうか、この人、本当に心理学者なのか? と思ったほどです。

フロイトなどの心理学と違うところは、
・フロイトなどは人間の「無意識」の行動、衝動などに焦点を当てて原因を追究しています。
アドラーは、行動を原因ではなく目的で考えようとした所です。

私が思うに

■フロイトの理論は、
現代の脳科学、脳神経学、発達障害、人格障害、愛着障害などで分かってきたことを比較に入れると、論理的に破綻する所もあります。
しかし、「自分と云う人間は、全部、自分の意志で動いていると思っていたら、それは大きな間違いだ」と云う点においては、フロイトの人間の「無意識」の行動、衝動などに焦点を当てた考え方は、賛同できる点もあります。

■アドラーの心理学は、
どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに対する答えがありますので、論理的に破綻する所は無いのですが、ただ一つ、人間の脳は、みな同じではなく、脳に、生まれつきや、生後の養育環境などで「障害」を抱えた人たちも沢山いますので、実践するのは、難易度が高いと思います。

■難易度が高いと云う意味は、
具体的には、相手の脳に何らかの「障害」を抱えていると、例えば、「アスペルガー症候群(自閉症ペクトラム症:ASD)」の夫の場合、妻はカサンドラ症候群になりやすいという様に、どうにもならない場合があるという事です。

しかし、夫婦とも同じ「ASD」の場合は、どうなんでしょう? お互い他人の事など、何一つ考えていなければ、案外、上手くゆくのではないか。。と思うのですが、実例を観察したことがありませんので不明です。
まだあります。 発達障害などを背負った「毒親」に育てられた子供たちなどです。
関連記事
面白い記事を見つけました。。「発達障害の夫、カサンドラな妻」です。
・【書籍紹介】「毒親」の正体 ―精神科医の診察室から 水島広子(著)

 

2013年ですが、「アドラー心理学」を解説した書籍「嫌われる勇気」が出版されて、日本でも認知されるようになったと思います。その後、「幸せになる勇気」が出版されましたが、この2冊、読んでおいて損はないでしょう。

2017年、『嫌われる勇気』のタイトルでフジテレビのドラマにもなりましたが、日本アドラー心理学会が、「アドラー心理学における一般的な理解とはかなり異なっている」としてドラマの脚本を見直すよう抗議文を送っています。 それくらい、捉え方が難しいのです。読む人にとっては誤解を与えかねないのです。
日本の社会独特の「タコつぼ社会」、不気味な「同調圧力」に対するアンチテーゼなのかもしれません。

補足説明
アルフレッド・アドラー1870年2月7日生れ)は、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家です。 一時期、フロイトと共同研究をしていましたが、分かれて独自のアドラー心理学を確立しています。

世界的にはジークムント・フロイト、カール・グスタフ・ユングと並ぶ心理学界の三大巨匠とされながら、日本国内では無名に近い存在でした。

1.なぜ、今頃、この書籍を紹介することにしたか。。。。です。

最近、友人「HIRAMAのひとりごと」で、立て続けに、パートナーに関する記事を掲載していたので、ちょっと気になりましたので、人間関係に悩んでるときに「アドラーの心理学」が一番参考になるではないか。。。と、おせっかいを焼いてみました。

HIRAMAのひとりごと」サイト
結婚して10年目で気づいた悩みとか(夫の視線から)

「妻」が機嫌が悪いときの対応策

夫婦の家計管理はどっち!?サラリーマンブロガー家計事情!

 

アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉」の中に、こんな言葉があります。

妻の機嫌が悪いときに、夫が責任を感じてはいけない。

不機嫌でいるか、上機嫌でいるかは、妻の課題。

その課題を勝手に背負うから苦しいのだ。

 

■妻の機嫌を取るという行為は、
言い方を変えれば、夫は妻の機嫌や感情を自分の思い通りにコントロールしようとしています。まさに、妻の課題に土足で踏み込んでいる、と言っています。

言い方を変えれば、と言いましたが、「妻の機嫌や感情を自分の思い通りにコントロール」する必要が、なぜ生じてしまうのか?

「自分が嫌だから」ですか。。。なぜ嫌か? なぜ、嫌、嫌ながら背負う必要があるのか。

浮気などしていて、うしろめたい事をしていれば別の話ですが、そうやって、「妻」の課題を勝手に背負って、何か? 良いことでも有るんでしょうか?

 

■「妻」の課題は何なのか? 
自分の至らなさを棚に上げて、夫の至らなさに、何とかならないのかと、イライラする

このように、一見、お互い様のように思うのですが、相手にだけ要求するから、増々イライラするんでしょうね。

 

■不機嫌な時に、自分自身の後ろめたさに気が付いているかどうかです。

夫より先に帰宅しているのに、飯の支度もしていない自分にです。

 

たぶん、このように、妻にビクビクしていと、できないかもしれないが、逆に、夫が不機嫌な態度をずっと取った場合、妻はどう出てくるか?

一度、試してみると良いのです。

「夫の課題に土足で踏み込んでいる」かどうか、試してみると良いのです。

無視されるか、すり寄ってくるか。。。。はたまた、「崩壊」するか?

「自分自身の後ろめたさに気が付いていない」場合は、崩壊するかもしれません。

もし、崩壊しそうになった時は、アドラーのこの2冊「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」を読むように、お互いに勧めてください。

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